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2022年12月26日更新

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高校を卒業して間もない頃の私。

「スポーツ現場で選手をサポートできるスポーツトレーナーになりたい」と真剣に志し、その為には何が必要なのか、その知識と技術を求めて、国家資格を取得し、時間があればスポーツの現場やトレーナー講習会へ足を運び一つでも多く、そのスキルや知識を身につけようと必死でした。それが自分の目指す「スポーツトレーナー」への近道であると信じて疑わなかったからです。

 「自分に足りないもの、必要なもの」を追い求め続けて8年程たった頃。それまでに培った知識やスポーツ現場での経験を経て出てきた答えは、怪我や痛みに対して「何を施すか」という事よりも、「誰がそれを行うのか」という事の方が、その後の怪我の経過や痛みの改善に大きく影響しているという事実でした。

 その事を知ってからの私は、日々「自分はどうあるべきなのか」という自問自答を繰り返す事になります。最終的にその答えを導いてくれたのが、今、私の施術の礎となっている野口整体であります。

これまで経験した施術や体づくりを通して、痛みや不調があれば、それを治してもらえる「○○治療院」という場所は、私が目指している健康観である「本来あるべき姿で、活き活きと生ききる」「自分らしくあるための要素は、自分の中にある」というものとは真逆のものであると実感しています。

なぜなら、痛みが出る度にそれを取り除くという「後始末の繰り返し」には、活き活きと暮らす人としての姿を想い描くことは出来ないからです。そう体堂の「堂」は、「多くの人が集まる場所」を意味していますが、これには治療院ではないという私なりの想いを含んでおります。

目先の痛みや不調ばかりに意識が向いてしまう事は、先の見えない状況に過度な不安を募らせたり、足りないものを補うことばかりに気を取られてしまう事とよく似ています。「自分はどうありたいのか」という意識が抜け落ちてしまっているのです。死を迎えるまでの生を全うしていくうえで、我を忘れる事があってはなりません。

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