調律するというひと手間

2024年2月10日更新

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元気な人達が集う処(ところ)。これが私のそう体堂に対するイメージです。皆さんはどうでしょうか。

実際に、お越しいただく方は、病院や治療院などで呼ばれるような「患者」という方はただの一人もおりません。ではなぜ、元気な方が身体を整える(調律する)為に通うのでしょうか。その理由の一つは、より心地良い体と気持ちに安らぎのある暮らしへと向かう為です。  

ただ、中には「腰や膝が痛い」「頭痛や生理痛がひどい」「花粉症がつらい」と言った身体の不調を改善したいという方もおられます。このような方達も身体の不調をひとつのきっかけにして、身体が変わっていくその過程を「自分の身体の治癒力で症状が改善している」という実感が得られると、その後、不調を繰り返すような身体との向き合い方ではなくなっていきます。

そもそも、身体に感じる痛みや不調は、身体が悪くなった、駄目になった、劣化したと言うような消極的な認識を持ちやすいのですが、身体の生命力や治癒力に目を向けてその偉大な営みに気がつくことが出来れば、安心して変化を待つことが出来るのです。

辛い症状から身体が大きく方向転換し、症状が快方へ向かっていく場に立ち会わせていただく度に、施術する私は余分な手出しをしてはならないと思わされます。そしてこれは、痛みが出たら痛みを取る、不調が出たら不調を取り除く、といった「後始末」に追われている感覚では得られないものです。それどころか、その後始末には終わりがなく、次から次へと形を変えて顕在化してくる事になります。そう体堂の「空気感」や施術というのは、この「後始末」のやり取りにならない方向へと向かうものであり、その感覚を暮らしの一部に取り入れることに大きな意味を感じています。

例えば、ピアノやギターの音色は弦を定期的に調律していく事により本来の音色を保つ事が出来ます。これと同じ感覚で、毎日働いている自分の身体を心地良い状態へと調律していく事は、身体の本質を保つことになります。

ただ、身体を調律するという意識や感覚がないことが、日常生活に支障をきたしていると実感する方は稀でしょう。そんな多くの方が見失いやすい事だからこそ、この感覚を大切にして手間をかけていくのです。四季の移ろいに合わせて身体を調律し、身体の方向性と気持ちの方向性のベクトルを合わせていく感覚を積み重ねる事は「心地良い状態」「これなら大丈夫」という感覚へと向かわせてくれます。

さらには、それを共に暮らす家族とも共有できた時、どれだけの恩恵があるかは想像に難くないでしょう。「身体を調律する」という、そのひと手間の真髄がここにあると思うのです。

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